2024/03/07
大正時代(1912年-1926年)の日本では、庶民の食生活が大きく変化しました。
当時の社会や経済の状況、文化的な要素が影響を与え、食事の内容や食材の入手方法が変わりました。
どのように変わったのか?ここから見ていきましょう。
大正時代は、第一次世界大戦の戦況やその後の不況の影響を受け、経済的な厳しさが広がりました。
これにより、庶民は食糧の入手が難しくなり、飢餓感や栄養不足が広がることになります。
大正時代の庶民の主食は、依然として米飯でした。
しかし、米の価格が高騰し、一般の庶民が日常的に十分な量の米を食べることが難しくなりました。
代わりに、雑穀や芋、麦などが混ぜられた「雑炊」が一般的になり、食卓に並ぶようになりました。
野菜や保存食も重要な食材となりました。
野菜は自家製のものや市場で手に入れることが一般的で、保存食としては漬物や干し物が重宝され、季節変化による食材の変化や増減に対応する必要がありました。
海が豊かな日本では、魚介類が重要なタンパク源として利用されました。
塩干しや干物、魚の缶詰などが広く利用され、魚の旬の時期には魚が主役となる料理が増えました。
大正時代になると、肉の摂取が少しずつ増えてきましたが、まだまだ一般的ではありませんでした。
特に、豚肉が比較的手頃な価格で入手できることから、豚肉の料理も増えました。
食卓においては、従来の座敷の低いテーブルから、洋風のダイニングテーブルが一般的になりました。
また、洋食器の普及も進み、食事のスタイルが変化していきました。
都市部では食堂や料亭が発展し、外食文化も栄えました。
屋台も賑わい、手軽に食事を楽しむ機会が増えました。
以上が、大正時代の庶民の食生活に関する主な要点です。
社会の変動や食材の入手難易度の高まりなどが背景にあり、庶民の食事は様々な工夫や変化を経ていきました。
大正時代の「ごちそう」は、一般の庶民にとっては特別な日や慶事の際に食べられる、贅沢で豪華な料理を指します。
すき焼きは、肉(主に牛肉)や野菜を甘辛いたれで煮込んだ料理で、大正時代に人気を博しました。
肉が一般的に高価だったため、これを食べることは贅沢な体験でした。
しゃぶしゃぶもまた、肉や野菜をお湯でさっと茹で、濃い出汁につけて食べる料理で、大正時代に広まりました。
こちらも高級食材を使用した贅沢な料理でした。
懐石料理は、日本料理の一形態で、繊細で美しい盛り付けと、旬の素材を活かした料理が特徴です。
贅沢な懐石料理は、宴席や祝い事の際に楽しまれました。
会席料理もまた、多くの小料理が一度に楽しめる日本料理のスタイルで、大正時代には贅沢な宴席や祝いの席で提供されました。
鰻の蒲焼きも、大正時代には庶民の特別なごちそうとされました。
蒲焼きは、鰻を甘辛いタレで焼いたもので、夏の土用の丑の日に食べられる習慣が広がりました。